亀京窯
赤松の炎が描く自然の美。ひとつとして同じものはない焼締めの器に込めた思い。
ヒノキ林を伐り開き、一年がかりで完成した日本古来の伝統的な「穴窯」。
半国山(はんごくさん)は亀岡の西部に位置する744mの山です。
山頂から丹波・摂津・播磨と三国が半分見えることから、その名が付けられたと言われています。
R477からも見えるその山姿は秀麗で、別名「丹波富士」とも呼ばれ、日帰り登山ができるハイキングコースとして人気です。
その半国山のふもとで、日本古来の伝統的な「穴窯」を用いて作陶をされているのが「丹波音羽焼 亀京窯」さん。ハイキングコースにもなっている山道を登っていくと、屋号が彫られた看板が現れました。
周囲は鬱蒼とした森に囲まれていて、人の気配は全くなく…。林道には野生動物の侵入を防ぐ防護扉が厳重に取付けられており、付近の森に鹿やイノシシが多く生息していることがうかがえます。
亀京窯の窯は、ガスでも電気でもない、薪の窯。窯焚きには大量の薪(赤松)が使われます。雨がかからないようにトタンが被せられた木材が至る所に積んでありました。
「この先が、窯になります」
案内してくださったのは、山奥で薪をくべて窯焚きをしている陶芸家のイメージとはかけ離れた、優しそうな雰囲気の女性。
お祖父さんと二人でヒノキ林だったこの山を伐り開いて窯場を作ったそうなのですが、にわかには信じられません…。
亀京窯は「穴窯」という形式の薪窯。薪窯には、登り窯・蛇窯・穴窯などがあり、「穴窯」は今から1500年程前に朝鮮半島から伝わった日本最古の窯です。
燃料をくべる燃焼室と、器を並べる焼成室が一体となっており、後部に煙突がある構造になっています。
ちなみに単室で下からだけ焚くのが穴窯で、部屋がいくつも連なって各部屋を下から順に焚いていくのが、登り窯。燃やした木の灰がのりやすいのが穴窯で、登り窯は釉薬ものも大量に焼けるという特徴がそれぞれにあります。亀京窯では焼き方にもこだわり、重油などを使わず小枝から焚き付け、徐々に温度を上げて行き、最終的に1200度以上の高温で焼締めています。
こちらが「亀京窯」を主宰する中井絵夢さん。
京都伝統工芸大学校で学び、篠山の丹波立杭焼で修行された後に独立されたそうです。
修行時代の話や作品の特徴などをお聞きしました。
学生時代に夢見た「穴窯」づくり。修行から戻った故郷で、その夢をかなえた。
ご自分で作られたという穴窯ですが、修行先で作り方を学んだのですか?
いえ、修行先で学んだわけではありません。篠山にいた頃に使われていたのは「蛇窯」で、いまの「穴窯」とは形式が異なります。
「穴窯」の作り方について知ったのは専門学校に通っていた頃です。当時、図書館で窯に関する事や焼締めについての本をよく読んでいて、穴窯の作り方や火の回り方などが詳しく書かれていました。昔ながらの方法に魅力を感じ、いつか自分でも作りたいと思って、それらをノートに書き留めていたんです。
独立するときに、そのノートを引っぱりだしてきて勉強し直し、知人の方に手伝ってもらいながら一年がかりで完成させました。
「土を触るのも火を扱うことも、すべてが好きで、いつも楽しい」
修行時代のエピソードを聞かせてください
私が修行させていただいたのは篠山の丹誠窯というところで、わりと初期の段階から作る仕事を任されていました。弟子入り直後は掃除や雑務中心だろうと思って覚悟していたので、有り難かったですね。昔は女人禁制だった窯の中にも入って、「窯入れ」や「窯出し」も経験させていただきました。修行期間は5年でしたが、充実した日々を過ごしました。
専門学校で学んだ技術が、立杭焼でも活かせたのですか?
それが…立杭焼はろくろの回転が通常と逆なんですよ。専門学校では右回転のろくろで器を作っていたので、少し戸惑うことはありました。自分は切り換えが得意な方で、なんとか対応できたんですけど。立杭焼では足で軸木を蹴って回す左回転の「蹴ろくろ」を使っていた歴史があり、その伝統が今も受け継がれているんです。
また、専門学校では京焼という薄づくりの技法を学んでいたのですが、立杭焼は素地を厚く作るのが特徴です。そのような違いがあったため、仕事に慣れる時間は必要でしたが、つらいと思ったことは一度もないですね。土を触るのも火を扱うことも、すべてが好きで、いつも楽しい。自分にとっての天職なのかなと思っています(笑)。
伝統の良さを活かしながら、現代の暮らしに沿うような新しい焼締めを目指したい。
修行を終えて、独立開窯されたのが2007年。中井さんの作る「丹波音羽焼」にはどんな特徴があるのでしょう。
生まれ育った亀岡市東本梅町に流れる音羽川のそばで作陶に励みたい、丹波立杭で修行したことを少しでも継承したい、という思いで「丹波音羽焼」としました。
立杭焼の伝統を受け継ぎつつ、オリジナルの要素を取り入れています。
焼締めは、薄く作ると火の力で歪んでしまうことから、「厚く」作るのが一般的です。でも専門学校で京焼を学んだ自分としては、「薄く」作る技術も活かしたい。京焼の良さと立杭の良さを掛け合わせたような、「薄づくりの焼締め」を目指しています。
土の暖かさや独特の渋みなど良いところがたくさんある焼締めですが、重たい、渋すぎる、扱いづらい、という否定的な意見もあります。
そこで、手に取りやすく、使いやすい焼締めを作れないかと考えました。無釉でありながら、ツヤが出るような焼き方をしています。食器洗浄機や乾燥機の使用も可能です。伝統の良さを活かしながら、現代の暮らしにあった使いやすさを心がけています。
生まれ育った亀岡・東本梅で作陶されてますが、地域との交流はありますか。
はい。地域の子ども達に器づくりを教えて、出来た器を窯で焼くところも見学してもらう、という交流をしています。保育園や小学生に通うお子さんを対象に、保護者の方も交えて一緒に体験してもらっています。
参加された方は「すごく夢中になれた!」「楽しかった!」と喜んでいただいています。窯焚きを見学された方からは「こんなに大変な仕事をされているのですね!」と驚かれることもあります。普段人に見せることのない自分の仕事の裏側を知ってもらうことは嬉しいですね。
器をつくる楽しさから入って、簡単に手に入らないものの価値を知ってほしい。
忙しい作品制作の合間を縫って、陶芸教室をされている理由はなぜですか?
焼締めの器に入れると水が腐りにくくなるとか、ビールが美味しくなるなどの特徴は、見ただけではわからないし、言葉でも伝わらない。実際に使ってもらうしかないのですが、気軽に100均で買えるような金額でもない。
ならば、まずは作る楽しさから入ってもらうのが一番広がりやすいのではないか、と考えて陶芸教室をはじめました。
今どんなものでも簡単に手に入りやすい時代ですけど、簡単に手に入らないものがあることを陶芸教室で体験して、知って欲しいという思いがあります。時間と労力がかかる仕事を、しんどいから嫌だということではなく、簡単に手に入らないことにも価値があることを実感して欲しいのです。
最後に、今後の構想を教えてください
できる限り、器づくりを通して「亀京窯」を知ってもらいたいのですが、いつか地元でカフェをしてみたいという構想も持っています。
多くの方が一番興味を持たれているのが「食」だと思うんですね。自分の焼いたお皿やコップを実際に使用したカフェで、器の良さを感じていただけるように、それが自然な形で購入につながるのであれば、やってみたいと考えています。イメージしているのは半国山を登りに来られたハイキングの方が立ち寄る、ゆるい感じのカフェです(笑)。