地域が栄える原点は、人と人のつながり。 里山に人が集まりたくなる楽しい仕掛けを発信したい。

『かめおか里山ネットワーク』代表
『里山の休日 京都・烟河』地域営業顧問
西田 孝臣 さん

地域が栄える原点は、人と人のつながり。 里山に人が集まりたくなる楽しい仕掛けを発信したい。

豊かな自然に囲まれ、人の暮らしと密接に結びついている里山。「かめおか里山ネットワーク」は、亀岡市の里山で暮らす人々と京阪神の都市部で暮らす人々をつなぐ情報発信や移住促進、空き家再生などの活動を行う目的で、2023年8月に発足しました。 その代表を務める西田孝臣さんは、宮前町宮川の里山に生まれ育ち、都市部での仕事と生活を経て、再び故郷に戻り、郷里のために尽力しています。どのような想いから「かめおか里山ネットワーク」を立ち上げ、どんな夢を描いているのか、聞いてみました。

活動拠点「知好楽庵」を訪問!空き家をDIYで再生し、移住生活を実践中

ここが、「かめおか里山ネットワーク」の活動拠点。

亀岡市の西部に位置する宮前町宮川。国道477号線沿いから少し奥まった場所に、「かめおか里山ネットワーク」の活動拠点である「知好楽(ちこうらく)」庵があります。

幼なじみ宅の敷地内にある空き家だった建物を、西田さん自らがDIYリフォームし、5年前に移住。
車で10分ほどの湯の花温泉にあるリゾート旅館(里山の休日 京都・烟河)で地域と人を結ぶ営業顧問の仕事をしながら、地域活性のためのボランティア活動をスタート。

昨年2023年8月に「かめおか里山ネットワーク」を立ち上げました。

「楽しむこと」を軸足に歩んできた人生経験を活かし、里山へ恩返しを

「知好楽」の庵名について「孔子の言葉からいただいた、私の座右の銘です」と西田さん。知って、好きになって、楽しむ。楽しむことがいちばん!という意味があるとか。


― 里山暮らしを、西田さんご自身が楽しんでいるのですね!

「そうそう(笑)。里山に移住する魅力を、まず私自身が実践して伝えないと正しい情報発信ができないからね。里山が抱えている課題の一つが、高齢化で今後増えていく空き家をどう再生して活用していくか。家を整えたり、庭に自家農園やピザ窯を作ったり。

一人でやると“作業”の連続で辛くなることも、友人や仲間と一緒に取り組めば、いつの間にか“レジャー”に変わって楽しくなる。楽しんで取り組めた友人や仲間は自然と愛着が湧き、自分の居場所なんだと思えるようになりますよね。そういう積み重ねの延長で、この里山に移住してくれる人が増えたらええなぁ、と思うんです」

亀岡の冬の里山を楽しむための薪ストーブ。西田さんの力作です。


― お仕事で故郷を離れた時期があるとか。

「26歳で職場に近い宇治市へ移り住み、さらに東京近郊で都会暮らしも経験。流通・アミューズメント・フードサービス業界で新規事業の立ち上げや運営、販売開拓などを仕事で手がけてきました。

地元専門店と共存型の大型ショッピングセンター内に新しい発想のアミューズメント施設を開発して大当たりしたり、石焼きビビンバ専門店を立ち上げて“30秒で提供できる五感で楽しむビビンバ”のコンセプトが話題になって連日行列ができたり。背中から冷や汗が出るような経験もしましたが、大勢の人と関わり、応援してもらえたから今があります。

今年70歳の古希を迎え、これまでの自分の経験と知識を総動員して、これからは故郷の里山に少しずつ恩返しをしていきたいと考えています」

取締役社長として飲食店事業を手がけていたころの西田さん(前列左から3人目)。

故郷を一度離れたから気づけた里山の魅力と課題

― 5年前に再び里山に帰ってきて、気づいたことはありますか?

「亀岡の里山は、京阪神から峠や保津峡を越えてたどり着きます。峠があることで、気持ちのスイッチが切り替わり、一瞬で里山の空気感と風に包みこまれる心地よさがあるんですよ。これこそが亀岡の里山の魅力だと改めて感じました。

その一方で、昔の友人の家がなくなり更地になっていたり、空き家のままツタに覆われて朽ちてしまっていたり。寂しい風景も目につくようになり、危機感を感じるように。幼いころは活気のあった故郷が、そう遠くない将来なくなってしまうかも知れない。このままではダメや!と」

西田さんは野菜ソムリエの資格保有者。お庭に作ったお孫さんの名前をつけた農園で季節の野菜を育て、蒸し野菜を楽しむのが日課だそう。

― 西田さんが子どものころ、宮川はどんな地域でしたか?

「青砥(あおと)と呼ばれる天然砥石の産地で、砥石の加工場があちこちに建っていて、国道沿いには酒屋や料亭、旅館、娯楽場などが軒を連ね、賑わっていました。

現在は日本料理の料理人が使う包丁の砥石を扱うところが、わずかに残っている程度。珪肺(けいはい:粉塵による肺疾患)などの環境問題もあって衰退し、職を探して人の流出が加速してしまったんでしょうね」

幼いころの西田少年(左から3人目)。保育園の同級生だけで18人の子どもがいたそう。

― 活気を取り戻すために「かめおか里山ネットワーク」が産声をあげたのですね。

「最初は宮川周辺の西部エリアの活性化を目指して動き始めたところ、亀岡市の東部や南部の里山でも同じような想いで活動している仲間の存在を知り、情報交換をするように。

そして、亀岡市の里山全体の活性化を目指そう!と想いが一つに集まり、かめおか里山ネットワークが誕生。

複数の里山エリアの住人が協働する横断型の組織として亀岡市も応援してくれるようになり、ローカルWebメディア『かめおか里山ナビ』を開設しました」

訪ねたのは暑さ厳しい時季。お庭には、なんと西田さん手作りの流しそうめん台が。

人が集まり、里山に恋してもらえる仕掛けを発信していきたい

― 里山の活性化に必要なことは何でしょう?

「地域が栄える原点は、やはり人が集まること。先祖代々この地域に暮らしている住人だけではなく、京阪神の都市部から移り住んでくれる新しい住人が加わって、今までとは違う新しい里山の形態を創造していくことが大事だと思っています。

そして最終的には、次の世代の子どもたちが、里山に住んでよかった、また帰ってきたいと思える場所になっていくことが理想です」

さらに、レンガを積み上げた本格的なピザ窯まで手作り。来訪者にお手製ピザを振る舞うことも。


― 具体的な取り組みや構想があれば教えてください。

「この庵の近くに、業務用キッチンやピザの焼き窯を備えた空き家があり、かめおか里山ネットワークにご厚意で貸していただけることになりました。来年2025年を目標に、移住に興味を持ってくれた人が、気軽に里山暮らしを体験できる“お試し住宅”のようなプロジェクトを始めたいと考えています。

まずは、遊びに来てくれた人と地域住民を結ぶような楽しいワークショップやイベントを企画したいですね」

西田さんが構想を練っているプロジェクトの舞台となる空き家。


― 里山の外と中をつなぐ縁結びの仲人みたいですね。

「今までの移住促進は、縁結びに例えると、結婚(移住)ありきの “お見合い型”が主流だったように思います。でも、これからの移住促進は“恋愛型”ですよ。お友達になることから始まり、何度も会って、お互いの心の距離を縮めて、相思相愛になる関係性を、ゆっくりと確実に育めることが大切だと思うんです。

いきりなり移住ではなく、里山に旅するような感覚で遊びにくる、南海トラフ地震が起きたときの疎開先候補を探している、といった小さな始まりでもいい。そうやって遊びに来てくれた人の中から、里山に恋して定住してくれる人が少しずつでも増えたら嬉しいですね」


= 編集後記 =

「どうしたらみんなが楽しめるか、そのことばかり考えています」と笑う西田さん。里山が抱える少子高齢化や空き家など、ともすれば深刻になりがちな課題と根気よく向き合う底力となるのは、人と人が生みだす「楽しさ」なのかも知れません。「かめおか里山ネットワーク」が今後、計画を進めるプロジェクトにも要注目です!

地域が栄える原点は、人と人のつながり。 里山に人が集まりたくなる楽しい仕掛けを発信したい。

西田 孝臣さんの歩み(主な経歴)

・大学卒業後、(株)西友に入社。グループ内企業4社にて23年間、管理・企画・新規事業に携わり、事業経営ノウハウを学ぶ。『長浜楽市』をはじめ、アミューズメント事業を中心とした街づくりを多数、提案。 ・2000年に吉本興業グループの(株)よしもとフードサービス(当時名称)へ。石焼きビビンバ専門店などの新規事業に携わる。その後、事業再編に伴い、(株)モック・ファイナンシャル・パートナーズに飲食事業が譲渡され代表取締役社長に就任。さらに、サムソングループの母体企業である韓国CJグループを親会社に迎え入れ、60歳で社長を退任するまで「韓食の世界化」に力を尽くす。 ・60歳以降は、(株)ウエルネスサプライの顧問として農家レストランの開発・運営業務に携わった後、合同産業株式会社にて完全制御型植物工場(ベビーリーフ生産)の運営、商品企画、販路開拓支援にも携わる。また、生産者と消費者を結びつける食の6次化を目指して6次産業研究所も設立。 ・2016年6月より、株式会社エムアンドエムサービスの地域営業顧問に就任。運営施設『里山の休日 京都・烟河』(亀岡市)にて地域営業顧問として地域の連携や新規顧客獲得に尽力中。現在に至る。